タスクを頭で覚えている人は、階段を目をつぶって登っている
◾️「忙しかった一日」の正体
一日が終わって、ふと振り返る。
メールを返した。会議に出た。ちょっとした調べ物もした。でも、なんか進んだ感じがしない。
この感覚、覚えのある人は多いと思います。
忙しかったのは本当。動いていたのも本当。なのに、なぜか手応えがない。
この正体を長い間うまく言語化できなかったんですが、コンサル業を長年やっていてわかったんです。
「スケジュールをこなしていた」だけで、「タスクを完了していなかった」んだと。
◾️スケジュールとタスクは、まったくの別物
多くの人が、この2つを混同しています。
スケジュールは「時間軸」で動く。10時に会議、14時に打ち合わせ、という話。時間が来れば始まって、時間が来れば終わる。
でもタスクは違う。「やった方がいいこと」の集合体で、時間軸とは関係がない。誰かにお願いされたこと、自分で決めたこと、いつかやろうと思っていること。それがぐるぐると頭の中を漂っている。
問題は、多くの人がタスクを「頭の中」か「あちこちのメモ」で管理していることだ。
手帳に書いたタスク、スマホのメモアプリ、LINEの自分宛てメッセージ、付箋、Slack…。
二元管理、三元管理どころじゃない。タスクが分散していると、人はいつも「あれ、なんかやり忘れてることあったかな」という不安を抱えながら生きることになる。
これが、生産性を下げる構造の正体だと思っている。
◾️階段の話をしよう
達成というのは、一気に高いところへジャンプすることではありません。
小さな階段を、一段ずつ登っていくことです。
夢があって、ビジョンがあって、「こうなりたい」という場所がある。そこへたどり着くために、階段がある。その一段一段が、タスクです。
階段を登る行為そのものは、別に楽しくない。しんどいし、地味だし、景色も変わらない。
でも、登った先に何かがあるから登れる。
問題は、踏み外したとき。
一段でも踏み外すと、その上にはたどり着けない。「あの件、どうなってたっけ」「連絡するの忘れてた」「あのタスク、どこに書いたんだろう」
踏み外し続けた階段は、気づいたら足場ごと崩れている。
タスクを洗い出すことは、階段を「見えるようにする」ことだったりします。
◾️数十万円タスク管理アプリに使った話
僕はタスク管理アプリへの課金総額が数万円を超えてます。
Notion、Todoist、Things、TickTick、OmniFocus、Asana…。ありとあらゆるアプリを試した。月額課金でずっと放置したものも含めれば、もっとかもしれない。
その結果気づいたのは、「アプリの問題じゃない」ということだった。
どんなに高機能なツールを使っても、タスクの「入れ方」と「処理の仕組み」が設計されていなければ、ただのゴミ箱になる。
逆に言えば、仕組みさえ設計できれば、シンプルなツールでも機能する。
「やる気より設計、根性より構造」という話は、タスク管理にこそ当てはまる。
ラハ研のメンバーとこの話をしていると、「タスクはちゃんとやってるつもりだったけど、仕組みになってなかった」という声をよく聞く。
◾️タスクを「完了させる」とはどういうことか
ここで少し視点を変えてみたい。
タスク「管理」という言葉が、実は誤解を生んでいると思っている。
管理、というと、リストをきれいに整えることが目的に見える。でも本当のゴールは、完了させることだ。
タスクは作るものじゃなく、消すものだ。
一日の終わりに「今日、何が完了したか」を言えるか。それが問いだと思っている。
完了のない一日がいくら続いても、階段は登れない。忙しさと達成は、まったく別の体験なのに、多くの人がその違いに気づかないまま一年が過ぎていく。
◾️あなたは今、どこに書いている?
ひとつだけ問いを残しておきます。
今日やるべきことが、どこに書いてあるか、即答できますか?
頭の中、という答えは惜しい。頭はタスクを保存する場所じゃなく、考える場所だから。
タスクを外に出して、見える化して、仕組みで処理する。これができた瞬間、「なんか進まない」が「ちゃんと進んでいる」に変わっていく。
階段は、ちゃんと見えていれば登れる。
タスク管理やってみてくださいね!

